ロバート・F・ケネディ上院議員(民主党 1968年大統領候補)が銃撃され死亡した日を題材にした「BOBBY(ボビー)」をDVDで観た。
惨事の舞台となったロスアンゼルスのアンバサダーホテルの1968年6月5日を22人のキャラクターを通して描いています。
この映画には上院議員の演説やベトナムの戦地の様子など実写映像も多く使用されています。
前半は、これが本当に上院議員銃撃を扱った映画なんだろうか?という展開でアンバサダーホテルに居合わせた人々の人間模様を描いて進行。
上院議員がホテルに到着し、カリフォルニア州の予備選挙での勝利宣言をした直後、会場を後にするため通った厨房内で凶弾に倒れるところまでを描いています。
凶弾に倒れたシーンでは以下のようなスピーチが音声と字幕で流れます。
このスピーチのような憂いは1968年の当時に限ったことではありません。今現在も日常の中で起きています。
長い文章でつまらなく感じるかも知れませんが、ここに紹介させていただきます。
今日は政治を語ることはしません。
この機会にぜひ伝えたいことを、簡単にお話します。
アメリカでの心ない暴力について。
暴力は国の名誉を汚し、人々の命を奪います。
それは人種に関係ありません。
暴力の犠牲者は黒人 白人 富者 貧者 若者 老人 有名 無名
何よりもまず彼らは人間だということ、誰かに愛され必要とされた人間なのです。
誰であろうと、どこで暮らそうと、どんな職業であろうと、犠牲者となりえます。
無分別な残虐行為に苦しむのです。
それなのに今もなお、暴力は私たちのこの国で続いています。
なぜでしょう?
暴力は何を成し遂げたでしょう?
何を創り出したでしょう?
アメリカ人の命が、別のアメリカ人により不必要に奪われる。
それが法の名の下であろうと、法に背くものであろうと。
一人または集団によって冷酷に計画して、または激情にかられて、暴力的攻撃によって、または応酬によって。
一人の人間が苦労して、自分や子供のために織り上げた生活や人生を暴力で引き裂く、暴力はすなわち国家の品位を貶めることです。
それなのに私たちは、暴力の増長を容認する。
暴力は私たちの人間性や文明社会を無視しているのに、私たちは力を誇る者や力を行使する者を安易に賛美する。
自分の人生を築くためなら他者の夢さえ打ち砕く者を、私たちはあまりにも安易に許してしまう。
でもこれだけは確かです。
暴力は暴力を生み、抑圧は報復を生みます。
社会全体を浄化することによってしか、私たちの心から病巣を取り除けません。
あなたが誰かに人を憎しみ恐れろと教えたり、その肌の色や信仰や考え方や行動によって、劣っていると教えたり、あなたと異なる者があなたの自由を侵害し、仕事を奪い家族を脅かすと教えれば、あなたもまた他者に対して、同胞ではなく敵として映るのです。
協調ではなく力によって征服し従属させ支配すべき相手として、やがて私たちは同胞をよそ者として見るようになる。
同じ街にいながら、共同体を分かち合わぬ者。
同じ場所に暮らしながら同じ目標を持たぬ者として、共通するものは、恐れとお互いから遠ざかりたいという願望。
考え方の違いを武力で解決しようという衝動だけ。
地上での私たちの人生はあまりに短く、なすべき仕事はあまりに多いのです。
これ以上暴力を、私たちの国ではびこらせないために。
暴力は政策や決議では追放できません。
私たちが一瞬でも思いだすことが大切なのです。
共に暮らす人々は、皆同胞であることを。
彼らも私たちと同じように短い人生を生き、与えられた命を私たちと同じように最後まで生き抜きたいと願っているのです。
目的を持ち、幸せに満ち足りた達成感のある人生を送ろうと、
共通の運命を生きる絆は必ずや
共通の目的を持つ絆は必ずや
私たちに何かを教えてくれるはずです。
必ずや私たちは学ぶでしょう。
周りの人々を仲間として見るようになるはずです。
そして努力し始めるでしょう。
お互いへの敵意をなくし、お互いの心の中で再び同胞となるために。
皆さんも時間があればご覧になってはいかがでしょうか。
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